巻次 - 874頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 102一 丹後法眼蓮応、衣装ととのえられ、前々住上人の御前に伺候そうらいし時、仰せられ候う。衣のえりを御たたきありて、「南無阿弥陀仏よ」と、仰せられ候う。また、前住上人は、御たたみをたたかれ、「南無阿弥陀仏にもたれたる」よし、仰せられ候いき。「南無阿弥陀仏に身をばまるめたる」と、仰せられ候うと、符合申し候う。103一 前々住上人、仰せられ候う。「仏法のうえには、毎事に付きて、空おそろしき事と存じ候うべく候う。ただ、よろずに付きて、油断あるまじきこと、と存じ候え」の由、折々に仰せられしと云々 「仏法には、明日と申す事、あるまじく候う。仏法の事は、いそげ、いそげ」と、仰せられたり。104一 同じく仰せに、「今日の日はあるまじきと思え」と、仰せられ候う。何事も、かきいそぎて、物を御沙汰候う由にて候う。ながながしたる事を御嫌いの由に候う。仏法のうえにては、明日のことを今日するように、いそぎたること、賞翫候う。105一 同じく仰せに云わく、「聖人の御影を申すは、大事のことなり。昔は、御本尊よりほかは、御座なきことなり。信なくは、必ず御罰を蒙るべき」由、仰せられ候う。106一 「時節到来と云うこと。用心をもし、そのうえに事の出で来候うを、時節到来とは云うべし。無用心にて事の出で来候うを、時節到来とはいわぬ事なり。聴聞を心がけてのうえの、宿善・無宿善とも云う事なり。ただ、信心は、きくにきわまることなる」由、仰せの由に候う。107一 前々住上人、法敬に対して仰せられ候う。「まきたてという物、知りたるか」と。法敬、御返事に、「ま 紙面画像を印刷 前のページ p874 次のページ 第二版p1046・1047へ このページの先頭に戻る