巻次 - 875頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 きたてとあって、一度まきて、手をささぬ物に候う」と、申され候う。仰せに云わく、「それぞ、まきたてが、わろきなり。人になおされまじきと思う心なり。心中をば申し出だして、人になおされ候わでは、心得のなおること、あるべからず。まきたては、信をとることあるべからず」と、仰せられ候うと云々108一 何ともして、人になおされ候うように、心中を持つべし。わが心中をば、同行の中へうちいでおくべし。下としたる人の、いうことをば、必ず用いざれば、腹立するなり。あさましきことなり。ただ、人になおさるるように、心中を持つべき義に候う。109一 人の、前々住上人へ申され候う。「一念の処、決定にて候う。ややもすれば、善知識の御ことを、おろそかに存じ候う」由、申され候えば、仰せられ候う。「最も、信のうえは、崇仰の心あるべきなり。さりながら、凡夫心にてはなきか。か様の心中のおこらん時は、勿体なき事と、おもいすつべし」と、仰せられしと云々110一 蓮如上人、兼縁に対せられ、仰せられ候う。「たとい、木の皮をきるいろめなりとも、なわびそ。弥陀をたのむ一念をよろこぶべき」由、仰せられ候う。111一 前々住上人、仰せられ候う。「上下老若によらず、後生は、油断にてしそんずべき」の由、仰せられ候う。112一 前々住上人、御口のうちを御煩い候うに、おりふし、「ああ」と、御目をふさがれ、仰せられ候う。さだめて、御口中御煩い、と、皆々、存じ候う処に、ややありて、仰せられ候う。「人の信のなきことを思し召 紙面画像を印刷 前のページ p875 次のページ 第二版p1047・1048へ このページの先頭に戻る