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御たたみをたたかれ、「南無阿弥陀仏に、もたれたる」よし、仰せられ候いき。「南無阿弥陀仏に身をばまるめたる」と仰せられ候うと、符合申し候う。
(103)一 前々住上人、仰せられ候う。「仏法のうえには、毎事に付きて、空おそろしき事と存じ候うべく候う。ただ、よろずに付きて油断あるまじきことと存じ候え」の由、折々に仰せられしと云々 「仏法には明日と申す事、あるまじく候う。仏法の事は、いそげいそげ」と仰せられたり。
(104)一 同じく仰せに、「今日の日はあるまじきと思え」と仰せられ候う。何事も、かきいそぎて、物を御沙汰候う由にて候う。ながながしたる事を御嫌いの由に候う。仏法のうえにては、明日のことを今日するように、いそぎたること、賞翫候う。
(105)一 同じく仰せに云わく、「聖人の御影を申すは、大事のことなり。昔は、御本尊よりほかは、御座なきことなり。信なくは、必ず御罰を蒙るべき」由、仰せられ候う。
(106)一 「時節到来と云うこと。用心をもし、そのうえに事の出で来候うを、時節到来とは云うべし。無用心にて事の出で来候うを、時節到来とはいわぬ事なり。聴聞を心がけてのうえの、宿善・無宿善とも云う事なり。ただ、信心は、きくにきわまることなる」由、仰せの由に候う。
(107)一 前々住上人、法敬に対して仰せられ候う。「まきたてという物、知りたるか」と。法敬、御返事に、「まきたてとあって、一度まきて、手をささぬ物に候う」と申され候う。仰せに云わく、「それぞ、まきたてが、わろきなり。人になおされまじきと思う心なり。心中をば申し出だし