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  「自信教人信」の道理なりと仰せられ候う事。
(96)一 「聖教よみの、仏法を申したてらるることは、なく候う。尼入道のたぐいの、「とうとや、ありがたや」と申され候うをききては、人が信をとる」と、前々住上人(蓮如)、仰せられ候う由に候う。何もしらねども、仏の加備力の故に、尼入道などのよろこばるるをききては、人、信をとるなり。聖教をよめども、名聞がさきにたちて、心には法なき故に、人の信用なきなり。
(97)一 蓮如上人、仰せられ候う。「当流には、総別、世間機わろし。仏法のうえより何事もあいはたらくべきことなる」よしと仰せられ候うと云々
(98)一 同じく仰せられ候う。「世間にて、時宜しかるべき、よき人なりというとも、信なくは、心おくべきなり。便にもならず。たとい、片目つぶれ、腰を引き候うようなる者なりとも、信心あらん人をば、たのもしく思うべきなり」と、仰せられ候う由に候う。
(99)一 君を思うは、われを思うなり。善知識の仰せに随い、信をとれば、極楽へ参る者なり。
(100)一 久遠劫より久しき仏は阿弥陀仏なり。かりに果後の方便によりて、誓願を儲けたまうことなり。
(101)一 前々住上人、仰せられ候う。「弥陀をたのめる人は、南無阿弥陀仏に身をばまるめたる事なり」と仰せられ候うと云々 いよいよ冥加を存ずべきの由に候う。
(102)一 丹後法眼蓮応、衣装ととのえられ、前々住上人の御前に伺候そうらいし時、仰せられ候う。衣のえりを御たたきありて、「南無阿弥陀仏よ」と仰せられ候う。又、前住上人(実如)は、