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119一 天王寺土塔会、前々住上人、御覧候いて、仰せられ候う。「あれほど多き人ども、地獄へおつべしと、不便に思し召し候いつる」由、仰せられ候う。また、「その中に、御門徒の人は、仏になるべし」と、仰せられ候う。これ、また、ありがたき仰せにて候う。
120一 前々住上人、御法談已後、仰せられ候う。四五人の御兄弟へ仰せられ候う。「四五人の衆、寄り合い談合せよ。必ず、五人は五人ながら、意巧にきく物なり。能く能く談合すべき」の由、仰せられ候う。
121一 たとい、なき事なりとも、人、申し候わば、当座に領掌すべし。当座に詞を返せば、ふたたびいわざるなり。人のいう事をば、ただ、ふかく用心すべきなり。是に付きて、ある人、「相たがいに、あしき事を申すべし」と、契約候いし処に、すなわち、一人の、あしきさまなること申しければ、「さように存じつれども、人の申すあいだ、さように候う」と、申す。されば、此の返答あしき、との事に候う。さなきことなりとも、当座は、「さぞ」と、申すべき事なり。
122一 一宗の繁昌と申すは、人の多くあつまり、威の大なる事にてはなく候う。一人なりとも、人の、信を取るが、一宗の繁昌に候う。しかれば、「専修正行の繁昌は、遺弟の念力より成ず」(式文)と、あそばされおかれ候う。
123一 前々住上人、仰せられ候う。「「聴聞、心に入れて申さん」と、思う人はあり、「信をとらんずる」と、思う人なし。されば、「極楽はたのしむ」と、聞きて、「参らん」と、願いのぞむ人は、仏にならず。弥陀をたのむ人は、仏になる」と、仰せられ候う。