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き事を聴き度く思うなり。一事を、幾度聴聞申すとも、めずらしく、はじめたるようにあるべきなり。
131一 道宗は、「ただ、一つ御詞を、いつも聴聞申すが、初めたるように、有難き」由、申され候う。
132一 「念仏申すも、人の、名聞げにおもわんと思いてたしなむが、大儀なる」由、ある人、申され候う。つね式の心中にかわり候う事。
133一 同行同侶の目をはじて、冥慮をおそれず。ただ、冥見をおそろしく存ずべきことなり。
134一 たとい正義たりとも、しげからんことをば、停止すべき由候う。まして、世間の儀、停止候わぬこと、しかるべからず。弥々、増長すべきは、信心にて候う由に候う。
135一 蓮如上人、仰せられ候う。「仏法には、まいらせ心わろし。是をして御心に叶わんと思う心なり。仏法のうえは、何事も、報謝と存ずべきなり」と云々
136一 人の身には、眼・耳・鼻・舌・身・意の六賊ありて、善心を奪う。これは諸行のことなり。念仏はしからず。仏智の心をうるゆえに、貪・瞋・痴の煩悩をば、仏の方より、刹那にけしたまうなり。故に、「貪瞋煩悩中 能生清浄願往生心」(散善義)と、いえり。『正信偈』には、「譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇」と、いえり。
137一 「一句一言を聴聞するとも、ただ、得手に法をきくなり。ただ、よく聞き、心中のとおり、同行にあい談合すべきことなり」と云々
138一 前々住上人、仰せられ候う。「神にも、馴れては、手ですべきことを足でするぞ」と、仰せられける。