巻次 - 880頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 「如来・聖人・善知識にも、なれ申すほど、御こころやすく思うなり。馴れ申すほど、弥、渇仰の心をふかくはこぶべき事なる」由、仰せられ候う。139一 「くちとはたらきとは、似するものなり。心ねが、よくなりがたきものなり。涯分、心の方を嗜み申すべきことなり」と云々140一 衣装等にいたるまで、わが物と思い、踏みたたくること、あさましき事なり。悉く聖人の御用物にて候うあいだ、前々住上人は、めし物など御足にあたり候えば、御いただき候う由、うけたまわりおよび候う。141一 「王法は額にあてよ。仏法は内心に深く蓄えよ」との仰せに候う。仁義と云う事も、端々あるべきことなるよしに候う。142一 蓮如上人、御若年の比、御迷惑のことにて候いし。ただ、御代にて仏法を仰せたてられんと、思し召し候う御念力一つにて、御繁昌候う。御辛労故に候う。143一 御病中に、蓮如上人、仰せられ候う。「御代に仏法を是非とも御再興あらんと、思し召し候う御念力一つにて、かように、今まで、皆々、心やすくあることは、此の法師が冥加に叶うによりてのことなり」と、御自証ありと云々144一 前々住上人は、昔はこぶくめをめされ候う。白小袖とて、御心やすく召し候う御事も、御座なく候う由に候う。いろいろ、御かなしかりける事ども、折々、御物語候う。「今々の者は、さようの事を承り候いて、冥加を存ずべき」の由、くれぐれ、仰せられ候う。 紙面画像を印刷 前のページ p880 次のページ 第二版p1053・1054へ このページの先頭に戻る