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「如来・聖人・善知識にも、なれ申すほど、御こころやすく思うなり。馴れ申すほど、弥、渇仰の心をふかくはこぶべき事なる」由、仰せられ候う。
139一 「くちとはたらきとは、似するものなり。心ねが、よくなりがたきものなり。涯分、心の方を嗜み申すべきことなり」と云々
140一 衣装等にいたるまで、わが物と思い、踏みたたくること、あさましき事なり。悉く聖人の御用物にて候うあいだ、前々住上人は、めし物など御足にあたり候えば、御いただき候う由、うけたまわりおよび候う。
141一 「王法は額にあてよ。仏法は内心に深く蓄えよ」との仰せに候う。仁義と云う事も、端々あるべきことなるよしに候う。
142一 蓮如上人、御若年の比、御迷惑のことにて候いし。ただ、御代にて仏法を仰せたてられんと、思し召し候う御念力一つにて、御繁昌候う。御辛労故に候う。
143一 御病中に、蓮如上人、仰せられ候う。「御代に仏法を是非とも御再興あらんと、思し召し候う御念力一つにて、かように、今まで、皆々、心やすくあることは、此の法師が冥加に叶うによりてのことなり」と、御自証ありと云々
144一 前々住上人は、昔はこぶくめをめされ候う。白小袖とて、御心やすく召し候う御事も、御座なく候う由に候う。いろいろ、御かなしかりける事ども、折々、御物語候う。「今々の者は、さようの事を承り候いて、冥加を存ずべき」の由、くれぐれ、仰せられ候う。