巻次 - 882頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 せり。悪しき者にちかづけば、それにはならじと思えども、悪事、よりよりにあり。只、仏法者には、馴れちかづくべき」よし、仰せられ候う。俗典に云わく、「人の善悪は、近習による」と。また、「その人を知らんとおもわば、その友をみよ」といえり。「善人の敵とはなるとも、悪人を友とすることなかれ」という事あり。151一 「聞けばいよいよかたく、仰げばいよいよたかし」ということあり。物をききてみて、かたきと知るなり。本願を信じて、殊勝なるほどもしるなり。信心おこりぬれば、とうとく、ありがたく、よろこびも増長するなり。152一 凡夫の身にて後生たすかることは、ただ易きとばかり思えり。「難中之難」とあれば、輒くおこしがたき信なれども、仏智より、得易く成就したまう事なり。「往生ほどの一大事、凡夫のはからうべきにあらず」といえり。前住上人、仰せに、「後生一大事と存ずる人には、御同心あるべき」よし、仰せられ候うと云々153一 「仏説に、信謗あるべきよし、ときおきたまえり。信ずる者ばかりにて、謗ずる人なくは、ときおきたまうこと、いかがと思うべきに、はや、謗ずるものあるうえは、信ぜんにおいては、必ず往生決定」との、仰せに候う。154一 同行のまえにては、よろこぶなり。これ、名聞なり。信のうえは、一人居てよろこぶ法なり。155一 「仏法には、世間のひまを闕きてきくべし。世間のひまをあけて、法を聞くべきように思う事、あさましきことなり。仏法には、明日と云う事はあるまじき」由の仰せに候う。「たとい大千世界に みてらん火を 紙面画像を印刷 前のページ p882 次のページ 第二版p1055・1056へ このページの先頭に戻る