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られ候う。
161一 一心とは、弥陀をたのめば、如来の仏心と一つになしたまうが故に、一心というなり。
162一 ある人、申され候うと云々 「われは、井の水をのむも、仏法の御用なれば、水の一口も、如来・上人の御用、と存じ候う」由、申され候う云々
163一 蓮如上人、御病中に仰せられ候う。「御自身、何事も思し召し立ち候うことの、成り行くほどのことはあれども、ならずということなし。人の信なきことばかり、かなしく御なげきは思し召す」の由、仰せられ候う由に候う。
164一 同じく仰せに、「何事をも思し召すままに御沙汰あり。聖人の御一流をも御再興候いて、本堂・御影堂をもたてられ、御住持をも御相続ありて、大坂殿を御建立ありて、御隠居候う。しかれば、われは、「功、成り、名、遂げて、身、退くは、天の道なり」ということ、その御身の上なるべき」よし、仰せられ候う、と。
165一 同じく御病中に、度々仰せられ候うと云々 慶聞に仰せられ候う。「賊縛の比丘は、王遊に、草繫を脱し、乞食の沙門は、鵝珠を、死後にあらわす」と云う戒文を、たびたび仰せられ候う由に候う。御滅後に不思議をあらわさるべきの、仰せに候う。
166一 敵の陣に火をとぼすを、火にてなき、とは思わず。いかなる人なりとも、御ことばのとおりを申し、御詞をよみ申さば、信仰し、うけたまわるべきことなり、と。
167一 蓮如上人、おりおり、仰せられ候う。「仏法の義をば、能く能く人にとえ。物をば人によくとい申せ」