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のよし、仰せられ候う。誰にとい申すべき由、うかがい申しければ、「仏法だにもあらば、上下をいわずとうべし。仏法は、しりそうもなきものがしるぞ」と、仰せられ候うと云々
168一 蓮如上人、無文の物をきることを御きらい候う。「殊勝そうにみゆる」との仰せに候う。また、すみの黒き衣をき候うを、御きらい候う。墨のくろき衣をきて、御前へ参れば、仰せられ候う。「衣文ただしき、殊勝の御僧の御出で候う」と、仰せられ候いて、「いや、われは殊勝にもなし。ただ、弥陀の本願、殊勝なる」由、仰せられ候う。
169一 大坂殿にて、文のある御小袖をさせられ、御座の上に掛けられておかれ候う由に候う。
170一 御膳、まいり候うときには、御合掌ありて、「如来・聖人の御用にて、き、くうよ」と、仰せられ候う。
171一 人は、あがりあがりて、おちばをしらぬなり。ただ、つつしみて、不断、そらおそろしきことと、毎事に付けて、心をもつべきの由、仰せられ候う。
172一 「往生は、一人一人のしのぎなり。一人一人に仏法を信じて後生をたすかることなり。余所ごとのように思うこと、且つはわが身をしらぬ事なり」と、円如、仰せ候いき。
173一 大坂殿にて、ある人、前々住上人(蓮如)に申され候う。「今朝暁より、老いたる者にて候うが参られ候う。神変なることなる」由、申され候えば、やがて仰せられ候う。「信だにあれば、辛労とはおもわぬなり。信のうえは、仏恩報謝と存じ候えば、苦労とは思わぬなり」と、仰せられしと云々 老者は、田上の了宗と云々