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備わるなり。他宗には、親のため、また、何のため、なんどとて、念仏をつかうなり。聖人の御流には、弥陀をたのむが念仏なり。そのうえの称名は、なにともあれ、仏恩になるものなり」と、仰せられ候う云々
181一 ある人、云わく、「前々住上人の御時、南殿とやらんにて、人、蜂を殺し候うに、思いよらず、念仏申され候う。その時、「何と思うて念仏をば申したる」と、仰せられ候えば、「ただ、かわいやと存じ、ふと申し候う」と、申されければ、仰せられ候うは、「信のうえは、何ともあれ、念仏申すは、報謝の義と存ずべし。みな、仏恩になる」と、仰せられ候う。」
182一 南殿にて、前々住上人、のうれんを打ちあげられて御出で候うとて、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、仰せられ候いて、「法敬、この心しりたるか」と、仰せられ候う。「なにとも存ぜず」と、申され候えば、仰せられ候う。「これは、われは御たすけ候う、御うれしや、とうとやと申す心よ」と、仰せられ候う云々
183一 蓮如上人へ、ある人、安心のとおり、申され候う。西国の人と云々 安心の一通りを申され候えば、仰せられ候う。「申し候うごとく心中に候わば、それが肝要」と、仰せられ候う。
184一 同じく仰せられ候う。「当時、ことばにては、安心のとおり、同じように申され候いし。しかれば、信治定の人に紛れて、往生をしそんずべきことを、かなしく思し召し候う」由、仰せられ候う。
185一 同じく仰せに云わく、「仏法をば、さしよせていえいえ」と、仰せられ候う。法敬に対し、仰せられ候う。「信心・安心といえば、愚痴のものは、まだもしらぬなり。信心・安心などいえば、別の様にも思うなり。ただ、凡夫の仏になることを、おしうべし。後生たすけたまえと、弥陀をたのめと云うべし。何たる愚痴