巻次
-
888頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

の衆生なりとも、聞きて信をとるべし。当流には、これよりほかの法門はなきなり」と、仰せられ候う。『安心決定抄』に云わく、「浄土の法門は、第十八の願を能く能くこころうるのほかにはなきなり」と、いえり。しかれば、『御文』(五帖一)には、「一心一向に、仏、たすけたまえと申さん衆生をば、たとい罪業は深重なりとも、かならず、弥陀如来はすくいましますべし。これ、すなわち、第十八の念仏往生の誓願の意なり」と、云えり。
186一 「信をとらぬによりて、わろきぞ。ただ、信をとれ」と、仰せられ候う。善知識の、「わろし」と、仰せられけるは、信のなきことを、「わろき」と、仰せらるるなり。しかれば、前々住上人、ある人を、「言語道断、わろき」と、仰せられ候うところに、その人、申され候う。「何事も、御意のごとくと存じ候う」と、申され候えば、仰せられ候う。「ふつとわろきなり。信のなきはわろくはなきか」と、仰せられ候うと云々
187一 蓮如上人、仰せられ候う。「何たる事をきこしめしても、御心には、ゆめゆめ、叶わざるなり。一人なりとも、人の、信をとりたることを、きこしめしたき」と、御ひとりごとに、仰せられ候う。御一生は、人に信をとらせたく思し召され候う由、仰せられ候うと云々
188一 聖人の御流は、たのむ一念の所、肝要なり。故に、たのむと云うことをば、代々、あそばしおかれそうらえども、委しく、何とたのめと云うことを、しらざりき。しかれば、前々住上人の御代に、『御文』を御作り候いて、「雑行をすてて、後生たすけたまえと、一心に弥陀をたのめ」と、あきらかにしらせられ候う。しかれば、御再興の上人にてましますものなり。