巻次 - 889頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 189一 「よきことをしたるが、わろきことあり。わろき事をしたるが、よき事あり。よき事をしても、われは法儀に付きてよき事をしたると思い、われ、と云う事あれば、わろきなり。あしき事をしても、心中をひるがえし、本願に帰するは、わろき事をしたるが、よき道理になる」由、仰せられ候う。しかれば、蓮如上人は、「まいらせ心がわろき」と、仰せらるると云々190一 前々住上人、仰せられ候う。「思いよらぬ者が、分に過ぎて物を出し候わば、一子細あるべきと思うべし。わがこころならいに、人にものをいだせばうれしく思うほどに、何ぞ用を云うべき時は、人がさようにするなり」と、仰せられ候う。191一 「行くさきむかいばかりみて、足もとをみねば、踏みかぶるべきなり。人の上ばかりにて、わがみのうえのことをたしなまずは、一大事たるべき」と、仰せられ候う。192一 善知識の仰せなりとも成るまじきなんど思うは、大きなるあさましきことなり。なにたる事なりとも、仰せならばなるべきと、存ずべし。此の凡夫の身が仏になるうえは、さてなるまじきと存ずること、あるべきか。しかれば、「「道宗、近江の湖を一人してうめよ」と、仰せ候うとも、「畏まりたる」と、申すべく候う。仰せにて候わば、ならぬこと、あるべきか」と、申され候う。193一 いたりてかたきは、石なり。至りてやわらかなるは、水なり。水、よく石をうがつ。「心源、もし徹しなば、菩提の覚道、何事か成ぜざらん」といえる古き詞あり。いかに不信なりとも、聴聞を心に入れて申さば、御慈悲にて候うあいだ、信をうべきなり。ただ、仏法は、聴聞にきわまることなりと云々 紙面画像を印刷 前のページ p889 次のページ 第二版p1063・1064へ このページの先頭に戻る