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ことの、ならぬことは、なきなり。それにつきて、御往生あるとも、御身は、思し召しのこさるる事、なし。ただ、御兄弟中、そのほか、誰にも、信のなきを、かなしく思し召し候う。世間には、よみじのさわりということあり。我においては、往生すとも、それなし。ただ、信のなき事、これを歎き思し召し候う」由、仰せられ候いき。
212一 蓮如上人、あるいは、人に御酒をも下され、物をも下されて、かようの事、ありがたく存じ候いて、近づけさせられ候いて、仏法を御きかせ候う。されば、かように物を下され候う事も、信をとらせらるべきためと思し召せば、報謝と思し召し候う由、仰せられ候うと云々
213一 同じく仰せに云わく、「心得たと思うは、心得ぬなり。心得ぬと思うは、こころえたるなり。弥陀の御たすけあるべきことのとうとさよと思うが、心得たるなり。少しも、心得たると思うことは、あるまじきことなり」と、仰せられ候うと云々 されば、『口伝鈔』に云わく、「されば、この機のうえにたもつところの弥陀の仏智を、つのりとせんよりほかは、凡夫、いかでか往生の得分あるべきや」と、いえり。
214一 加州菅生の願将、坊主の聖教をよまれ候うをききて、「聖教は殊勝に候えども、信が御入りなく候うあいだ、とうとくも御入りなき」と、申され候う。此のことを、前々住上人、きこしめし、菅生蓮智をめしのぼせられ、御前にて、不断、聖教をもよませられ、法義のことをも仰せきかせられ、願将に仰せられ候う。「蓮智に聖教をもよみならわせ、仏法の事を仰せきかせられ候う」よし、仰せ候いて、国へ御下し候う。その後は、聖教をよまれ候えば、「今こそ殊勝に候え」とて、ありがたがられ候う由に候う。