巻次 - 904頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 せられ候いし」と云々 私に云わく、夢等をしるすこと、前々住上人、世を去りたまえば、今はその一言をも、大切に存じ候えば、かように夢に入りて仰せ候うことの、金言なること、まことの仰せとも存ずるまま、これをしるす者なり。誠に、これは、夢想とも申すべき事どもにて候う。総別、夢は妄想なり。さりながら、権者のうえには、瑞夢とてある事なり。なおもって、かようの金言のことをばしるすべしと云々259一 「「仏恩が」と、申すは、聞きにくく候う。聊爾なり。「仏恩を有り難く存ず」と、申せば、莫大聞きよく候う」由、仰せられ候うと云々 「「『御文』が」と、申すも、聊爾なり。『御文』を聴聞申して、「『御文』有り難し」と、申してよき」由に候う。仏法の方をば、いかほども尊敬申すべき事と云々260一 「仏法の讃嘆のとき、同行を「かたがた」と、申すは、平外なり。「御方々」と、申してよき」由、仰せごとと云々261一 前々住上人、仰せられ候う。「家をつくり候うとも、つぶりだにぬれずは、何ともかとも、つくるべし。万事、過分なることを、御きらい候う。衣装等にいたるまでも、よきものきんと思うは、あさましき事なり。冥加を存じ、ただ、仏法を心にかけよ」と、仰せられ候う云々262一 同じく仰せられ候う。「いかようの人にて候うとも、仏法の家に奉公申し候わば、昨日までは他宗にて候うとも、今日ははや仏法の御用と、こころえべく候う。たとい、あきないをするとも、仏法の御用と、こころえべき」と、仰せられ候う。 紙面画像を印刷 前のページ p904 次のページ 第二版p1079・1080へ このページの先頭に戻る