巻次 - 1079頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 「畏まりたり」と御うけ御申し候えば、「ただ、その、畏まりたりと云うにては、なり候うまじく候う。ただ一大事にて候う」由、仰せられ候いし」と云々 次の夜、夢に云わく、「蓮誓、仰せ候う。「吉崎前々住上人に、当流の肝要のことを習い申し候う。一流の依用なき聖教やなんどを広くみて、御流をひがざまにとりなし候うこと候う。幸いに、肝要を抜き候う聖教候う。是れが、一流の秘極なりと、吉崎にて前々住上人に習い申し候う」と、蓮誓、仰せられ候いし」と云々 私に云わく、夢等をしるすこと、前々住上人、世を去りたまえば、今はその一言をも大切に存じ候えば、かように夢に入りて仰せ候うことの、金言なること、まことの仰せとも存ずるまま、これをしるす者なり。誠にこれは夢想とも申すべき事どもにて候う。総別、夢は妄想なり。さりながら、権者のうえには、瑞夢とてある事なり。猶以て、かようの金言のことをばしるすべしと云々(259)一 「「仏恩が」と申すは、聞きにくく候う。聊爾なり。「仏恩を有り難く存ず」と申せば、莫大聞きよく候う」由、仰せられ候うと云々 「「『御文』が」と申すも、聊爾なり。『御文』を聴聞申して、「『御文』有り難し」と申してよき」由に候う。仏法の方をば、いかほども尊敬申すべき事と云々(260)一 「仏法の讃嘆のとき、同行を「かたがた」と申すは、平外なり。「御方々」と申してよき」由、仰せごとと云々 紙面画像を印刷 前のページ p1079 次のページ 初版p903・904へ このページの先頭に戻る