巻次 - 1080頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 (261)一 前々住上人(蓮如)、仰せられ候う。「家をつくり候うとも、つぶりだにぬれずは、何ともかとも、つくるべし。万事、過分なることを御きらい候う。衣装等にいたるまでも、よきものきんと思うは、あさましき事なり。冥加を存じ、ただ仏法を心にかけよ」と仰せられ候う云々(262)一 同じく仰せられ候う。「いかようの人にて候うとも、仏法の家に奉公申し候わば、昨日までは他宗にて候うとも、今日は、はや仏法の御用とこころえべく候う。縦い、あきないをするとも、仏法の御用とこころえべき」と仰せられ候う。(263)一 同じく仰せに云わく、「雨もふり、又、炎天の時分は、つとめ、ながながしく仕り候わで、はやく仕りて、人をたたせ候うが、よく候う」由、仰せられ候う。これも御慈悲にて、人々を御いたわり候う大慈大悲の御あわれみに候う。常々の仰せには、「御身は、人に御したがい候いて、仏法を御すすめ候う」と仰せられ候う。御門徒の身にて、御意のごとくならざること、中々あさましき事ども、中々、申すも、ことおろかに候うとの儀に候う。(264)一 将軍家 義尚 よりの義にて、加州一国の一揆、御門徒を、はらいかるべきとの義にて、加州居住候う御兄弟衆をも、めしあげられ候う。そのとき、前々住上人、仰せられ候う。「加州の衆を、門徒放すべきと仰せ出だされ候うこと、御身をきらるるよりもかなしく思し召し候う。何事をもしらざる尼入道の類のことまで思し召すは、何とも御迷惑、此の事に極まる」由、仰せられ候う。御門徒をやぶらるると申すことは、一段、善知識の御うえにても、かなしく思し召 紙面画像を印刷 前のページ p1080 次のページ 初版p904・905へ このページの先頭に戻る