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273一 前住上人、御病中、正月二十四日に、仰せられ候う。「前々住の、早々、われに、こいと、左の手にて、御まねき候う。あら、ありがたや」と、くりかえし、くりかえし、仰せられ候いて、御念仏御申し候うほどに、各々、御心たがい候いて、かようにも仰せ候うと、存じ候えば、その義にてはなくして、御まどろみ候う御夢に、御覧ぜられ候う由、仰せられ候う処にて、みなみな、安堵候いき。これ、また、あらたなる御事なりと云々
274一 同じき二十五日、兼誉・兼縁に対せられ、仰せられ候う。前々住上人、御世を譲りあそばされて以来のことども、種々仰せられ候う。御一身(実如上人)の御安心のとおり、仰せられ候う。「一念に弥陀をたのみ御申して、往生は一定と、思し召され候う。それに付きて、前住(蓮如上人)の御恩にて、今日まで、われ、と、思う心をもち候わぬが、うれしく候う」と、仰せられ候う。誠に、ありがたくも、または、驚き入り申し候う。我、人、かように心得申してこそ、他力の信心、決定申したるにてはあるべく候う。いよいよ、一大事まで、との義に候う。
275一 『嘆徳の文』に、「親鸞聖人」と、申せば、その恐れある故に、「祖師聖人」と、よみ候う。また、「開山聖人」と、よみ申すもおそれを存ずる子細にて御入り候うと云々
276一 ただ、「聖人」と、直に申せば、聊爾なり。「此の聖人」と、申すも、聊爾か、「開山」とは、略しては申すべきか、との事に候う。ただ、「開山聖人」と、申して、よく候う。
277一 『嘆徳の文』に、「もって弘誓に託す」と、申すことを、「もって」を抜きてはよまず候うと。