巻次
-
908頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

278一 蓮如上人、堺の御坊に御座の時、兼誉御参り候う。御堂において、卓の上に、『御文』をおかせられて、一人二人乃至五人十人、参られ候う人々に対して、よませられ候う。その夜、蓮如上人、御物語の時、仰せられ候う。「此の間、面白き事を思い出だして候う。常に、『御文』を、一人なりとも、来らん人にもよませてきかせば、有縁の人は、信をとるべし。此の間、面白き事を思案し出だしたる」と、くれぐれ、仰せられ候う。さて、『御文』肝要の御事と、いよいよ、しられ候う、との事に候う。
279一 「今生の事を心に入るるほど、仏法を心に入れたき事にて候う」と、人、申し候えば、「世間に対様して申す事は、大様なり。ただ、仏法をふかくよろこぶべし」と云々 また、云わく、「一日一日に、仏法はたしなみて候う。一期とおもえば、大儀なり」と、人、申さる。また、云わく、「大儀なると思うは、不足なり。命は、いかほどもながく候いても、あかずよろこぶべき事なり」と云々
280一 坊主は、人をさえも、勧化せられ候うに、われを勧化せられぬは、あさましきことなりと云々
281一 道宗、前々住上人へ『御文』申され候えば、仰せられ候う。「文は、とりおとし候う事も候うほどに、ただ、心に信をだにもとり候えば、おとし候わぬ」よし仰せられ候いし。また、あくる年、あそばされて、下され候う。
282一 法敬坊、申され候う。「仏法をかたるに、志の人を前におきて語り候えば、力がありて、申しよき」由、申され候う。
283一 信もなくて、大事の聖教を所持の人は、おさなき者につるぎをもたせ候う様に思し召し候う。その故