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「一念に弥陀をたのみ御申して、往生は一定と思し召され候う。それに付きて、前住(蓮如)の御恩にて、今日まで、われと思う心をもち候わぬが、うれしく候う」と仰せられ候う。誠にありがたくも、又は驚き入り申し候う。我、人、かように心得申してこそ、他力の信心決定申したるにてはあるべく候う。弥いよ一大事まで、との義に候う。
(275)一 『嘆徳の文』に「親鸞聖人」と申せば、その恐れある故に、「祖師聖人」とよみ候う。又、「開山聖人」とよみ申すも、おそれを存ずる子細にて御入り候うと云々
(276)一 但「聖人」と、直に申せば聊爾なり。「此の聖人」と申すも聊爾か。「開山」とは略しては申すべきかとの事に候う。ただ「開山聖人」と申してよく候う。
(277)一 『嘆徳の文』に、「以て弘誓に託す」と申すことを、「以て」を抜きてはよまず候うと。
(278)一 蓮如上人、堺の御坊に御座の時、兼誉御参り候う。御堂において、卓の上に『御文』をおかせられて、一人、二人 乃至 五人、十人、参られ候う人々に対してよませられ候う。その夜、蓮如上人、御物語の時、仰せられ候う。「此の間、面白き事を思い出だして候う。常に『御文』を、一人なりとも来たらん人にも、よませてきかせば、有縁の人は信をとるべし。此の間、面白き事を思案し出だしたる」と、くれぐれ仰せられ候う。さて、『御文』肝要の御事と、弥いよしられ候うとの事に候う。
(279)一 「今生の事を心に入るるほど、仏法を心に入れたき事にて候う」と、人、申し候えば、