巻次 - 1084頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 「世間に対様して申す事は、大様なり。ただ仏法をふかくよろこぶべし」と云々 又云わく、「一日一日に仏法はたしなみて候う。一期とおもえば大儀なり」と、人、申さる。又云わく、「大儀なると思うは不足なり。命は、いかほどもながく候いても、あかずよろこぶべき事なり」と云々(280)一 坊主は、人をさえも勧化せられ候うに、われを勧化せられぬは、あさましきことなりと云々(281)一 道宗、前々住上人(蓮如)へ御文申され候えば、仰せられ候う。「文は、とりおとし候う事も候うほどに、ただ、心に信をだにもとり候えば、おとし候わぬ」よし仰せられ候いし。又あくる年、あそばされて、下され候う。(282)一 法敬坊、申され候う。「仏法をかたるに、志の人を前におきて語り候えば、力がありて申しよき」由、申され候う。(283)一 信もなくて、大事の聖教を所持の人は、おさなき者につるぎをもたせ候う様に思し召し候う。その故は、剣は重宝なれども、おさなき者、もち候えば、手を切り怪我をするなり。持ちて能く候う人は重宝になるなりと云々(284)一 前々住上人、仰せられ候う。「ただいまなりとも、我、しねといわば、しぬる者は有るべく候う、信をとる者はあるまじき」と仰せられ候うと云々(285)一 前々住上人、大坂殿にて、各々に対せられて仰せられ候う。「一念に、凡夫の、往生をとぐることは、秘事・秘伝にてはなきか」と仰せられ候う。 紙面画像を印刷 前のページ p1084 次のページ 初版p908・909へ このページの先頭に戻る