巻次 - 910頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 られ候う。その時、みなみな、迷惑申され候う。さて、仰せられ候う。「罪がふかければこそ、阿弥陀如来は御たすけあれ」と、仰せられ候うと云々290一 毎日毎日に、『御文』の御金言を聴聞させられ候うことは、宝を御領り候うことに候うと云々291一 開山聖人の御代、高田の 二代 顕智、上洛の時、申され候う。「今度は、既に御目にかかるまじきと、存じ候う処に、不思議に御目にかかり候う」と、申され候えば、「それは、いかに」と仰せられ候う。「舟路に、難風にあい、迷惑仕候う」由、申され候う。聖人、仰せられ候う。「それならば、船にはのらるまじきものを」と、仰せられ候う。その後、「御詞の末にて候う」とて、一期、舟にのられず候う。また、茸に酔い申され、御目に遅くかかられ候いし時も、「かくのごとく仰せられし」とて、一期、受用なく候いしと云々 かように、仰せを信じちがえ申すまじきと、存ぜられ候う事、誠にありがたき、殊勝の覚悟、との義に候う。292一 身あたたかなれば、ねぶりきざし候う。あさましきことなり。その覚悟にて、身をもすずしくもち、眠りをさますべきなり。身、随意なれば、仏法・世法、ともにおこたり、無沙汰・油断あり。此の義、一大事なりと云々293一 信をえたらば、同行に、あらく物も申すまじきなり。心、和らぐべきなり。触光柔軟の願あり。また、信なければ、我になりて、詞もあらく、諍いも必ず出来するなり。あさまし、あさまし。能く能く、こころうべしと云々294一 前々住上人、北国に、さる御門徒の事を仰せられ候う。「何として、久しく上洛なきぞ」と、仰せられ 紙面画像を印刷 前のページ p910 次のページ 第二版p1085・1086へ このページの先頭に戻る