巻次 - 924頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 思議力をうたがうとがあり。仏いかばかりのちからましますとしりてか、罪悪のみなればすくわれがたしとおもうべき。五逆の罪人すら、なお十念のゆえにふかく刹那のあいだに往生をとぐ。いわんやつみ五逆にいたらず、功十念にすぎたらんをや。つみふかくは、いよいよ極楽をねがうべし。「不簡破戒罪根深」(五会法事讃)といえり。善すくなくは、ますます弥陀を念ずべし。「三念五念仏来迎」(法事讃)とのたまえり。むなしくみを卑下し、こころを怯弱にして、仏智不思議をうたがうことなかれ。たとえば人ありて、たかききしのしもにありて、のぼることあたわざらんに、ちからつよき人きしのうえにありて、つなをおろして、このつなにとりつかせて、われきしのうえにひきのぼせんといわんに、ひく人のちからをうたがい、つなのよわからんことをあやぶみて、てをおさめてこれをとらずは、さらにきしのうえにのぼること、うべからず。ひとえにそのことばにしたごうて、たなごころをのべて、これをとらんには、すなわちのぼることをうべし。仏力をうたがい、願力をたのまざる人は、菩提のきしにのぼることかたし。ただ信心のてをのべて、誓願のつなをとるべし。仏力無窮なり、罪障深重のみをおもしとせず。仏智無辺なり、散乱放逸のものをもすつることなし。信心を要とす、そのほかをばかえりみざるなり。信心決定しぬれば、三心おのずからそなわる。本願を信ずることまことなれば、虚仮のこころなし。浄土まつことうたがいなければ、回向のおもいあり。このゆえに、三心ことなるににたれども、みな信心にそなわれるなり。みつには、回向発願心というは、なのなかに、その義きこえたり。くわしくこれをのぶべからず。過現三業の善根をめぐらして、極楽にうまれんと願ずるなり。つぎに、本願の文にいわく、「乃至十念 若不生者 不取正覚」といえり。いま、この十念というにつきて、人うたがいを 紙面画像を印刷 前のページ p924 次のページ 第二版p1104・1105へ このページの先頭に戻る