巻次 - 1104頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 りこのかた、つねにしずみ、つねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。ふたつには決定してふかく阿弥陀仏の四十八願、衆生を摂取したまうことを、うたがわざれば、かの願力にのりて、さだめて往生することをうと信ずるなり。 よの人つねにいわく、「仏の願を信ぜざるにはあらざれども、わがみのほどをはからうに、罪障のつもれることはおおく、善心のおこることはすくなし。こころ、つねに散乱して一心をうることかたし。身、とこしなえに懈怠にして精進なることなし。仏の願ふかしというとも、いかでかこのみをむかえたまわん」と。このおもい、まことにかしこきににたり。憍慢をおこさず高貢のこころなし。しかはあれども、仏の不思議力をうたがうとがあり。仏いかばかりのちからましますとしりてか、罪悪のみなれば、すくわれがたしとおもうべき。五逆の罪人すら、なお十念のゆえに、ふかく刹那のあいだに往生をとぐ。いわんやつみ五逆にいたらず、功十念にすぎたらんをや。つみふかくは、いよいよ極楽をねがうべし。「不簡破戒罪根深」(五会法事讃)といえり。善すくなくは、ますます弥陀を念ずべし。「三念五念仏来迎」(法事讃)とのべたり。むなしくみを卑下し、こころを怯弱にして、仏智不思議をうたがうことなかれ。たとえば人ありて、たかききしのしもにありて、のぼることあたわざらんに、ちからつよき人、きしのうえにありて、つなをおろして、このつなにとりつかせて、「われ、きしのうえにひきのぼせん」といわんに、ひく人のちからをうたがい、つなのよわからんことをあやぶみて、てをおさめて、これをとらずは、さらにきしのうえにのぼること、う 紙面画像を印刷 前のページ p1104 次のページ 初版p923・924へ このページの先頭に戻る