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り。かならずしも、はじをあらわにし、とがをしめせとにはあらず。ことにより、おりにしたがいてふかく斟酌すべし。善導の『釈』(散善義)にいわく、「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれと。内に虚仮を懐ければなり」といえり。
 ふたつに深心というは、信心なり。まず信心の相をしるべし。信心というは、ふかく人のことばをたのみて、うたがわざるなり。たとえば、わがために、いかにも、はらぐろかるまじく、ふかくたのみたる人の、まのあたり、よくよくみたらんところをおしえんに、「そのところには、やまあり。かしこには、かわあり」といいたらんを、ふかくたのみて、そのことばを信じてんのち、また人ありて、「それはひがごとなり。やまなし、かわなし」というとも、いかにも、そらごとすまじき人のいいてしことなれば、のちに百千人のいわんことをばもちいず、もとききしことをふかくたのむ。これを信心というなり。いま、釈迦の所説を信じ、弥陀の誓願を信じて、ふたごころなきこと、またかくのごとくなるべし。いまこの信心につきてふたつあり。ひとつにはわがみは罪悪生死の凡夫、曠劫よ