巻次 - 1103頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 り。かならずしも、はじをあらわにし、とがをしめせとにはあらず。ことにより、おりにしたがいてふかく斟酌すべし。善導の『釈』(散善義)にいわく、「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれと。内に虚仮を懐ければなり」といえり。 ふたつに深心というは、信心なり。まず信心の相をしるべし。信心というは、ふかく人のことばをたのみて、うたがわざるなり。たとえば、わがために、いかにも、はらぐろかるまじく、ふかくたのみたる人の、まのあたり、よくよくみたらんところをおしえんに、「そのところには、やまあり。かしこには、かわあり」といいたらんを、ふかくたのみて、そのことばを信じてんのち、また人ありて、「それはひがごとなり。やまなし、かわなし」というとも、いかにも、そらごとすまじき人のいいてしことなれば、のちに百千人のいわんことをばもちいず、もとききしことをふかくたのむ。これを信心というなり。いま、釈迦の所説を信じ、弥陀の誓願を信じて、ふたごころなきこと、またかくのごとくなるべし。いまこの信心につきてふたつあり。ひとつにはわがみは罪悪生死の凡夫、曠劫よ 紙面画像を印刷 前のページ p1103 次のページ 初版p923へ このページの先頭に戻る