巻次 - 1105頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 べからず。ひとえにそのことばにしたごうて、たなごころをのべて、これをとらんには、すなわちのぼることをうべし。仏力をうたがい、願力をたのまざる人は、菩提のきしにのぼることかたし。ただ信心のてをのべて、誓願のつなをとるべし。仏力無窮なり、罪障深重のみをおもしとせず。仏智無辺なり、散乱放逸のものをもすつることなし。信心を要とす。そのほかをばかえりみざるなり。信心決定しぬれば、三心おのずからそなわる。本願を信ずることまことなれば、虚仮のこころなし。浄土まつことうたがいなければ、回向のおもいあり。このゆえに、三心ことなるににたれども、みな信心にそなわれるなり。 みつには回向発願心というは、なのなかに、その義きこえたり。くわしくこれをのぶべからず。過現三業の善根をめぐらして、極楽にうまれんと願ずるなり。 つぎに、本願の文にいわく、「乃至十念 若不生者 不取正覚」(大経)といえり。いま、この十念というにつきて、人うたがいをなしていわく、「『法華』の「一念随喜」というは、ふかく非権 紙面画像を印刷 前のページ p1105 次のページ 初版p924・925へ このページの先頭に戻る