巻次
-
933頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

難行道のこころにして易行道のこころにあらず。これをこころうべきようは、いまの凡夫みずから煩悩を断ずることかたければ、妄念またとどめがたし。しかるを弥陀仏これをかがみて、かねてかかる衆生のために、他力本願をたて、名号の不思議にて衆生のつみをのぞかんとちかいたまえり。さればこそ他力ともなづけたれ。このことわりをこころえつれば、わがこころにてものうるさく妄念・妄想をとどめんともたしなまず、しずめがたきあしきこころ、みだれちるこころをしずめんともたしなまず、こらしがたき観念・観法をこらさんともはげまず、ただ仏の名願を念ずれば、本願かぎりあるゆえに、貪瞋痴の煩悩をたたえたる身なれども、かならず往生すと信じたればこそ、こころやすけれ。さればこそ易行道とはなづけたれ。もし身をいましめこころをととのえて修すべきならば、なんぞ行住坐臥を論ぜず、時処諸縁をきらわざれとすすめんや。またもしみずからととのえこころをすましおおせてつとめば、かならずしも仏力をたのまずとも生死をはなれん。」
5 またあるひとのいわく、「念仏すればこえごえに無量生死のつみきえて、ひかりにてらされ、こころも柔軟になるととかれたるとかや。しかるに念仏してとしひさしくなりゆけども、三毒煩悩もすこしもきえず、こころもいよいよわろくなる、善心日々にすすむこともなし。さるときには、仏をうたがうにはあらねども、わが身のわろきこころねにては、たやすく往生ほどの大事はとげがたくこそそうらえ。」
 師のいわく、「このことひとごとになげくこころねなり。まことにまよえるこころなり。これなんぞ浄土に生ぜんというみちならんや。すべてつみ滅すというは最後の一念にこそ身をすててかの土に往生するをいうなり。さればこそ浄土宗とはなづけたれ。もしこの身においてつみきえばさとりひらけなん。さとりひらけ