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てありけりときこえたり。その「こころに妄念をとどめて、くちに名号をとなえて内外相応するを、虚仮はなれたる至誠心の念仏なり」ともうすらんは、この至誠心をしらぬものなり。凡夫の心地にして行ずる念仏は、ひとえに自力にして、弥陀の本願にたがえるこころなり。すでにみずからそのこころをきよむというならば、聖道門のこころなり、浄土門のこころにあらず。難行道のこころにして、易行道のこころにあらず。自力修行のこころにして、他力修行のこころにあらず。
 これをこころうべきようは、いまの凡夫は、みずから煩悩を断ずることのかたければ、妄念またとどめがたし。しかるを、弥陀仏はこれをかがみて、かねてかかる衆生のために、他力本願をたてて、名号のちからにて衆生のつみをのぞかんとちかいたまえり。さればこそ他力ともなづけたれ。このことわりをこころえつれば、わがこころにて、ものうるさく妄念・妄想をとどめんともたしなまず、しずめがたきあしきこころ、みだれちるこころをもしずめんともたしなまず、こらしがたき観念・観法をもこらさんともはげまず、ただ仏の名号をくちにとなうれば、本願かぎりあるゆえに、貪・瞋・痴の煩悩をたたえたるみなれども、かならず往生すと信じたればこそ、こころやすけれ。こころやすければこそ易行道とはなづけたれ。もしみをいましめ、こころをととのえて修すべきならば、なんぞ「行住座臥を論ぜず、時処諸縁をきらわざれ」(往生要集)とすすめんや。またもし、みずからみをととのえ、こころをすましおおせてつとめば、かならずしも仏の御ちからをたのまずとも生死をはなれなん」と。