巻次 - 1115頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 たがいてこころのひくかたになれば、よしあしと人のことをばさだむべからず。ただわがみの行をはからうべきなり」と。 三 またある人とうていわく、「「念仏もうすとも、三心をしらでは、往生すべからず」と候うなるは、いかがし候うべき」と。 三 師のいわく、「まことにしかなり。ただし、故法然聖人のおおせごとありしは、「三心をしれりとも念仏もうさずは、その詮なし。たとい三心をしらずとも、念仏だにもうさば、そらに三心は具足して極楽にはうまるべし」とおおせられしを、まさしくうけたまわりしこと、このごろこころえあわすれば、まことにさもとおぼえたるなり。ただし、おのおの存ぜられんところのここちをあらわしたまえ。それをききて三心にあたりあたらぬよしを分別せん」と。 四 ここにある人いわく、「「念仏をもうせども、こころに妄念をおこせば、外相はとうとくみえ、内心はわるきゆえに、かかるゆえに虚仮の念仏となりて、真実の念仏にあらず」ともうす。まことにとおぼえて、おもいしずめて、こころをすましてもうさんとすれども、おおかた、わがこころの、つやつやと、ととのえがたく候うをば、いかがつかまつるべき」と。 四 師のいわく、「そのここち、すなわち自力にかかえられて他力をしらず。すでに至誠心のかけたりけるなり。くだんの、「くちに念仏をとなうれども、こころに妄念のとどまらねば、虚仮の念仏といいて、こころをすましてもうすべし」とすすめけるも、やがて至誠心かけたる虚仮の念仏者に 紙面画像を印刷 前のページ p1115 次のページ 初版p931・932へ このページの先頭に戻る