巻次 - 1114頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 二 またある人とうていわく、「いみじき人のためには余教をとき、いやしき人のためには念仏をすすめたらば、聖道門の諸教はめでたく、浄土門の一教はおとれるか」ともうせば、 二 師こたえてのたまわく、「たといかれはふかくこれはあさく、かれはいみじくこれはいやしくとも、わがみの分にしたがいて流転の苦をまぬかれて、不退のくらいをえては、さてこそはあらめ、ふかきあさきを論じてなににかはせん。いわんや、かのいみじきひとびとの、めでたき教法をさとりて仏になるというも、このあさましきみの、念仏をもうして往生すというも、しばらくいりかどはまちまちなれども、おちつくところはひとつなり。善導ののたまわく、「八万四千の門、門門不同にして、また別なるにあらず、別別の門はかえりておなじ」(法事讃)といえり。しかればすなわち、みなこれおなじく釈迦一仏の説なれば、いずれをまされり、いずれをおとれりともいうべからず。あやまって、『法華』の、諸教にすぐれたりというは、五逆の達多、八歳の龍女が仏になるととくゆえなり。この念仏もまたしかなり。諸教にきらわれ、諸仏にすてらるる悪人・女人、すみやかに浄土に往生して、まよいをひるがえし、さとりをひらくは、いわば、まことにこれこそ諸教にすぐれたりともいいつべけれ。まさにしるべし、晨旦の曇鸞・道綽すらなお利智精進にたえざるみなればとて、顕密の法をなげすてて浄土をねがい、日本の恵心(源信)・永観もなお愚鈍懈怠のみなればとて、事理の業因をすてて願力念仏をしたまいき。このごろも、かのひとびとにまさりて、智慧もふかく、戒行もいみじからん人は、いずれの法門にいりても生死を解脱せよかし。みな縁にし 紙面画像を印刷 前のページ p1114 次のページ 初版p930・931へ このページの先頭に戻る