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後世物語聞書

 ちかごろ浄土宗の明師をたずねて、洛陽ひんがしやまの辺にまします禅坊にまいりてみれば、一京九重の念仏者、五畿七道の後世者達、おのおのまめやかに、ころもはこころとともにそめ、身はよとともにすてたるよとみゆるひとびとのかぎり、十四、五人ばかりならびいて、いかにしてかこのたび往生ののぞみをとぐべきと、これをわれもわれもと、おもいおもいにたずねもうししときしも、まいりあいて、さいわいにひごろの不審ことごとくあきらめたり。そのおもむきを、たちどころにしてつぶさにしるして、いなかの在家無智の人々のためにくだすなり。よくよくこころをしずめて御覧ずべし。
 一 ある人とうていわく、「かかるあさましき無智のものも、念仏だにもうせば、極楽にうまるるとうけたまわりて、そののちひとすじに念仏をもうせども、まことしく、さもありぬべしとも、おもいさだめたることも候わぬをば、いかがしつかまつるべき」と。
 一 師こたえてのたまわく、「念仏往生は、もとより破戒無智のもののためなり。もし智慧もひろく、戒をまったしくたもつみならば、いずれの教法なりとも修行して、生死をはなれ菩提をうべきなり。それがわがみにあたわねばこそ、いま念仏して往生をばねがえ」と。