巻次 - 1113頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 後世物語聞書 ちかごろ浄土宗の明師をたずねて、洛陽ひんがしやまの辺にまします禅坊にまいりてみれば、一京九重の念仏者、五畿七道の後世者達、おのおのまめやかに、ころもはこころとともにそめ、身はよとともにすてたるよとみゆるひとびとのかぎり、十四、五人ばかりならびいて、いかにしてかこのたび往生ののぞみをとぐべきと、これをわれもわれもと、おもいおもいにたずねもうししときしも、まいりあいて、さいわいにひごろの不審ことごとくあきらめたり。そのおもむきを、たちどころにしてつぶさにしるして、いなかの在家無智の人々のためにくだすなり。よくよくこころをしずめて御覧ずべし。 一 ある人とうていわく、「かかるあさましき無智のものも、念仏だにもうせば、極楽にうまるるとうけたまわりて、そののちひとすじに念仏をもうせども、まことしく、さもありぬべしとも、おもいさだめたることも候わぬをば、いかがしつかまつるべき」と。 一 師こたえてのたまわく、「念仏往生は、もとより破戒無智のもののためなり。もし智慧もひろく、戒をまったしくたもつみならば、いずれの教法なりとも修行して、生死をはなれ菩提をうべきなり。それがわがみにあたわねばこそ、いま念仏して往生をばねがえ」と。 紙面画像を印刷 前のページ p1113 次のページ 初版p930へ このページの先頭に戻る