巻次
第五帖
1012頁
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よくこころえたる人を、信心の行者というなり。さてこのうえには、なお我が身の後生のたすからんことのうれしさをおもいいださんときは、ねてもさめても、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏ととなうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(一九) それ、末代の悪人・女人たらん輩は、みなみな心を一つにして阿弥陀仏をふかくたのみたてまつるべし。そのほかには、いずれの法を信ずというとも、後生のたすかるという事、ゆめゆめあるべからず。しかれば阿弥陀如来をば、なにとようにたのみ、後生をば、ねがうべきぞというに、なにのわずらいもなく、ただ一心に阿弥陀如来をひしとたのみ、後生たすけたまえとふかくたのみ申さん人をば、かならず御たすけあるべき事、さらさらうたがいあるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(二〇) それ、一切の女人たらん身は、弥陀如来をひしとたのみ、後生たすけたまえと申さん女人をば、かならず御たすけあるべし。さるほどに、諸仏のすてたまえる女人を、阿弥陀如来ひとり、我たすけずんば、またいずれの仏のたすけたまわんぞとおぼしめして、無上の大願をおこして、我、諸仏にすぐれて女人をたすけんとて、五劫があいだ思惟し、永劫があいだ修行して、世にこえたる大願をおこして、女人成仏といえる殊勝の願をおこしまします弥陀なり。このゆえにふかく弥陀をたのみ、後生たすけたまえと申さん女人は、みなみな極楽に往生すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。