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は、あるまじきことなり」と、仰せられ候うと云々 されば、『口伝鈔』に云わく、「されば、この機のうえにたもつところの、弥陀の仏智をつのりとせんよりほかは、凡夫、いかでか往生の得分あるべきや」といえり。
(214)一 加州菅生の願将、坊主の、聖教をよまれ候うをききて、「聖教は殊勝に候えども、信が御入りなく候うあいだ、とうとくも御入りなき」と申され候う。此のことを、前々住上人(蓮如)、きこしめし、菅生蓮智をめしのぼせられ、御前にて、不断、聖教をもよませられ、法義のことをも仰せきかせられ、願将に仰せられ候う。「蓮智に聖教をもよみならわせ、仏法の事を仰せきかせられ候う」よし、仰せ候いて、国へ御下し候う。その後は、聖教をよまれ候えば、「今こそ殊勝に候え」とて、ありがたがられ候う由に候う。
(215)一 蓮如上人、幼少なる者には、まず、「物をよめ」と仰せられ候う。又、その後は、「いかによむとも、復せずは、詮あるべからざる」由、仰せられ候う。ちとこころもつき候えば、「いかに物をよみ、声をよくよみしりたるとも、義理をわきまえてこそ」と仰せられ候う。その後は、「いかに文釈をおぼえたりとも、信がなくはいたずらごとよ」と仰せられ候う。
(216)一 心中のとおりを、或人、法敬坊に申され候う。「御詞の如くは覚悟仕り候えども、ただ、油断・不沙汰にて、あさましきことのみに候う」と申され候う。その時、法敬坊、申され候う。「それは御詞のごとくにてはなく候う。勿体なき申され事に候う。御詞には、「油断・不沙汰、