巻次 - 1090頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 を、あだにするかや」と仰せられ、両の御手にて御いただき候うと云々 総じて、かみのきれなんどのようなる物をも、御用と、仏物と思し召し候えば、あだに御沙汰なく候いしの由、前住上人(実如)、御物語候いき。(311)一 蓮如上人、近年、仰せられ候うことに候う、「御病中に仰せられ候う事、何ごとも金言なり。心をとめてきくべし」と仰せられ候うと云々(312)一 御病中に、慶聞をめして仰せられ候う。「御身には不思議なることあるを、気をとりなおして仰せらるべき」と仰せられ候うと云々(313)一 蓮如上人、仰せられ候う。「世間・仏法ともに、人はかろがろとしたるが、よき」と仰せられ候う。黙したるものを御きらい候う。「物を申さぬが、わろき」と仰せられ候う。又、微言に物を申すを、「わろし」と仰せられ候うと云々(314)一 同じく仰せに云わく、「仏法と世体とは、たしなみによる」と対句に仰せられ候う。又、「法門と庭の松とは、いうにあがる」と、これも対句に仰せられ候うと云々(315)一 兼縁、堺にて、蓮如上人御存生の時、背摺布を買得ありければ、蓮如上人、仰せられ候う。「かようの物は、我が方にもあるものを。無用のかいごとよ」と仰せられ候う。兼縁、「自物にてとり申したる」と答え御申し候う処に、仰せられ候う。「それは、我が物か」と仰せられ候う。ことごとく仏物、如来・聖人の御用にもるることはあるまじく候う。 紙面画像を印刷 前のページ p1090 次のページ 初版p913・914へ このページの先頭に戻る