巻次 - 1096頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 清浄の仏国をもうけんとおもう。ねがわくは、仏、わがために、ひろく仏国を荘厳する無量の妙行をおしえたまえ」と。そのときに、世自在王仏、二百一十億の諸仏の浄土の人天の善悪、国土の麁妙を、ことごとくこれをとき、ことごとくこれを現じたまいき。法蔵比丘、これをきき、これをみて、悪をえらびて善をとり、麁をすてて妙をねがう。たとえば、三悪道ある国土をば、これをえらびてとらず。三悪道なき世界をば、これをねがいてすなわちとる。自余の願も、これになずらえてこころをうべし。このゆえに、二百一十億の諸仏の浄土の中より、すぐれたることをえらびとりて、極楽世界を建立したまえり。たとえば、やなぎのえだに、さくらのはなをさかせ、ふたみのうらに、きよみがせきをならべたらんがごとし。これをえらぶこと、一期の案にあらず。五劫のあいだ思惟したまえり。かくのごとく、微妙厳浄の国土をもうけんと願じて、かさねて思惟したまわく、国土をもうくることは、衆生をみちびかんがためなり。国土たえなりというとも、衆生うまれがたくは、大悲大願の意趣にたがいなんとす。これによりて、往生極楽の別因をさだめんとするに、一切の行みなたやすからず。孝養父母をとらんとすれば、不孝のものはうまるべからず。読誦大乗をもちいんとすれば、文句をしらざるものはのぞみがたし。布施・持戒を因とさだめんとすれば、慳貪・破戒のともがらはもれなんとす。忍辱・精進を業とせんとすれば、瞋恚・懈怠のたぐいはすてられぬべし。余の一切の行、みなまた、かくのごとし。これによりて、一切の善悪の凡夫、ひとしくうまれ、ともにねがわしめんがために、ただ阿弥陀の三字の名号をとな 紙面画像を印刷 前のページ p1096 次のページ 初版p917・918へ このページの先頭に戻る