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1132頁
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ることは、さらに機の願行にあらずとしるべし。法蔵菩薩の五劫・兆載の願行の、凡夫の願行を成ずるゆえなり。阿弥陀仏の、凡夫の願行を成ぜしいわれを領解するを、三心ともいい、三信ともとき、信心ともいうなり。阿弥陀仏は凡夫の願行を名に成ぜしゆえを口業にあらわすを、南無阿弥陀仏という。かるがゆえに、領解も機にはとどまらず、領解すれば仏願の体にかえる。名号も機にはとどまらず、となうれば、やがて弘願にかえる。かるがゆえに、浄土の法門は、第十八の願を、よくよくこころうるほかには、なきなり。「如無量寿経四十八願中 唯明専念弥陀名号得生」(定善義)とも釈し、「又此経定散文中 唯標専念弥陀名号得生」(同)とも釈して、三経ともに、ただこの本願をあらわすなり。第十八の願をこころうるというは、名号をこころうるなり。名号をこころうるというは、阿弥陀仏の、衆生にかわりて願行を成就して、凡夫の往生、機にさきだちて成就せしきざみ、十方衆生の往生を正覚の体とせしことを領解するなり。
 かるがゆえに、念仏の行者、名号をきかば、「あは、はや、わが往生は成就しにけり。十方衆生、往生成就せずは、正覚とらじとちかいたまいし法蔵菩薩の正覚の果名なるがゆえに」とおもうべし。また、弥陀仏の形像をおがみたてまつらば、「あは、はや、わが往生は成就しにけり。十方衆生、往生成就せずは、正覚とらじとちかいたまいし法蔵薩埵の成正覚の御すがたなるゆえに」とおもうべし。また極楽という名をきかば、「あは、わが往生すべきところを成就したまいにけり。衆生往生せずは、正覚とらじとちかいたまいし法蔵比丘の成就したまえる極楽よ」