巻次 本 | 末 1139頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 安心決定鈔 本安心決定鈔 末 『往生論』に「如来浄花衆 正覚花化生」といえり。他力の大信心をえたるひとを浄華の衆とはいうなり。これはおなじく正覚のはなより生ずるなり。正覚花というは衆生の往生をかけものにして、もし生ぜずは、正覚とらじとちかいたまいし法蔵菩薩の、十方衆生の願行成就せしとき、機法一体の正覚成じたまえる慈悲の御こころのあらわれたまえる心蓮華を、正覚華とはいうなり。これを第七の観には「除苦悩法」(観経)ととき、下々品には「五逆の衆生を来迎する蓮花」(同)ととくなり。仏心を蓮華とたとうることは、凡夫の煩悩の泥濁にそまざるさとりなるゆえなり。なにとして仏心の蓮華よりは生ずるぞというに、曇鸞、この文を、「同一に念仏して、別の道なきがゆえに」(論註)と釈したまえり。「とおく通ずるに、四海みな兄弟なり」(同)。善悪、機ごとに、九品、くらいかわれども、ともに他力の願行をたのみ、おなじく正覚の体に帰することはかわらざるゆえに、「同一念仏して別の道なきがゆえに」といえり。またさきに往生するひとも、他力の願行に帰して往生し、のちに往生するひとも正覚の一念に帰して往生す。心蓮華のうちにいたる 紙面画像を印刷 前のページ p1139 次のページ 初版p951・952へ このページの先頭に戻る