巻次 行 176頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 ぜざるが故に、心、大きに歓喜す。是の菩薩所有の余の苦は二三の水渧の如し。百千億劫に阿耨多羅三藐三菩提を得と雖も、無始生死の苦に於いては二三の水渧の如し。滅すべき所の苦は大海の水の如し。是の故に此の地を名づけて「歓喜」とす。 (地相品)問うて曰わく、初歓喜地の菩薩、此の地の中に在りて、「多歓喜」と名づけて、諸の功徳を得ることを為すが故に、歓喜を地とす。法を歓喜すべし。何を以て歓喜するや。 答えて曰わく、常に諸仏及び諸仏の大法を念ずれば、必定して希有の行なり。是の故に歓喜多しと。是くの如き等の歓喜の因縁の故に、菩薩、初地の中に在りて心に歓喜多し。「諸仏を念ず」というは、然燈等の過去の諸仏・阿弥陀等の現在の諸仏・弥勒等の将来の諸仏を念ずるなり。常に是くの如きの諸仏世尊を念ずれば、現に前に在すが如し。三界第一にして、能く勝れたる者無さず。是の故に歓喜多し。諸仏の大法を念ぜば、略して諸仏の四十不共法を説かんと。一には自在の飛行、意に随う。二には自在の変化、辺無し。三には自在の所聞、無閡なり。四には自在に無量種門を以て一切衆生の心を知ろしめすと。乃至 念必定の諸の菩薩は、若し菩薩、阿耨多羅三藐三菩提の記を得つれば、法位に入り無生忍を得るなり。千万億数の魔の軍衆、壊乱すること能わず。大悲心を得て大人法を成ず。乃至 是れを「念必定の菩薩」と名づく。「希有の行を念ず」というは、必定の菩薩第一希有の行を念ずるなり。 紙面画像を印刷 前のページ p176 次のページ 初版p162・163へ このページの先頭に戻る