巻次 行 188頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 には非ず。何を以ての故に。或いは三昧有り、但能く貪を除いて瞋痴を除くこと能わず。或いは三昧有り、但能く瞋を除いて痴貪を除くこと能わず。或いは三昧有り、但能く痴を除いて瞋を除くこと能わず。或いは三昧有り、但能く現在の障を除いて過去・未来の一切諸障を除くこと能わず。若し能く常に念仏三昧を修すれば、現在・過去・未来の一切諸障を問うこと無く、皆除くなり。」」 又云わく(安楽集)、「『大経の賛』(讃阿弥陀仏偈)に云わく、「若し阿弥陀の徳号を聞きて、歓喜賛仰し、心、帰依すれば、下、一念に至るまで大利を得。則ち功徳の宝を具足すとす。設い大千世界に満てらん火をも、亦直ちに過ぎて仏の名を聞くべし。阿弥陀を聞かば復た退せず。是の故に心を至して稽首し礼したてまつる」と。」 又云わく(安楽集)、「又『目連所問経』の如し。「仏、目連に告げたまわく、「譬えば万川長流に草木有りて、前は後を顧みず、後は前を顧みず、都て大海に会するが如し。世間も亦爾なり。豪貴富楽自在なること有りと雖も、悉く生老病死を勉るることを得ず。只、仏経を信ぜざるに由りて、後世に人と為りて更に甚だ困劇して、千仏の国土に生まるることを得ること能わず。是の故に我説かく、無量寿仏国は往き易く取り易くして、人、修行して往生すること能わず。反って九十五種の邪道に事う。我、是の人を説きて「眼無き人」と名づく、「耳無き人」と名づく」と。」経教、既に爾なり。何ぞ難を捨てて易行道に依らざらん」と。已上 光明寺の和尚(善導)の云わく(往生礼讃)、「又『文殊般若』に云うが如し。「一行三昧を明か 紙面画像を印刷 前のページ p188 次のページ 初版p172・173へ このページの先頭に戻る