巻次 行 189頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 さんと欲う。唯勧めて独り空閑に処して諸の乱意を捨て、心を一仏に係けて、相貌を観ぜず専ら名字を称すれば、即ち念の中に於いて彼の阿弥陀仏及び一切仏等を見ることを得」といえり。 問うて曰わく、何が故ぞ観を作さしめずして直ちに専ら名字を称せしむるは、何意か有るや。 答えて曰わく、乃し衆生、障重くして、境は細なり、心は麁なり。識颺り神飛びて、観、成就し難きに由りてなり。是を以て大聖悲憐して、直ちに勧めて専ら名字を称せしむ。正しく称名易きに由るが故に、相続して即ち生ずと。〔「由」の字 以周の反。行なり。経なり。従なり。用なり。〕 問うて曰わく、既に専ら一仏を称せしむるに、何が故ぞ境、現ずること即ち多き。此れ豈に邪正相交り、一多雑現するに非ずや。 答えて曰わく、仏と仏と斉しく証して、形、二の別無し。縦使い一を念じて多を見ること、何の大道理にか乖かんや。 又『観経』に云うが如し。「勧めて座観・礼念等を行ぜしむ。皆須く面を西方に向かうは最勝なるべし。」樹の先より傾けるが倒るるに、必ず曲れるに随うが如し。故に必ず事の碍有りて西方に向かうに及ばずは、但、西に向かう想を作す、亦得たり。 紙面画像を印刷 前のページ p189 次のページ 初版p173・174へ このページの先頭に戻る