巻次
190頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

 問うて曰わく、一切諸仏、三身同じく証し、悲智果円かにして亦無二なるべし。方に随いて一仏を礼念し課称せんに、亦生を得べし。何が故ぞ偏に西方を嘆じて専ら礼念等を勧むる、何の義か有るや。
 答えて曰わく、諸仏の所証は平等にして是れ一なれども、若し願行を以て来たし取るに因縁無きに非ず。然るに弥陀世尊、本、深重の誓願を発して、光明名号を以て十方を摂化したまう。但、信心をして求念せしむれば、上、一形を尽くし、下、十声・一声等に至るまで、仏願力を以て往生を得易し。是の故に釈迦及以び諸仏、勧めて西方に向かうるを別異とすならくのみと。亦是れ余仏を称念して障を除き罪を滅すること能わざるには非ざるなりと知るべし。
 若し能く上の如く念念相続して畢命を期とする者は、十即十生、百即百生なり。何を以ての故に。外の雑縁無し。正念を得たるが故に。仏の本願と相応することを得るが故に。教に違せざるが故に。仏語に随順するが故なり」と。已上
 又云わく(往生礼讃)、「唯、念仏の衆生を観そなわして、摂取して捨てたまわざるが故に「阿弥陀」と名づく」と。已上
 又云わく(往生礼讃)、「弥陀の智願海は深広にして涯底無し。名を聞きて往生せんと欲えば、皆悉く彼の国に到ると。設い大千に満てらん火にも、直ちに過ぎて仏の名を聞け。名を聞きて歓喜し讃ずれば、皆、当に彼に生ずることを得べし。万年に三宝滅せんに、此の経、住すること百年