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る。故に「護念経」と名づく。」今既に此の増上の誓願有す。憑むべし。諸の仏子等、何ぞ意を励まして去らざらんや」と。智昇法師『集諸経礼懺儀』下巻は、善導和尚の『礼懺』なり。之に依る。
 又云わく(玄義分)、「「弘願」と言うは、『大経』の説の如し。一切善悪の凡夫、生を得るは、皆、阿弥陀仏の大願業力に乗じて〔「乗」の字 食陵の反。又宝証の反。駕なり。勝なり。登なり。守なり。覆なり。〕増上縁とせざるは莫きなり」と。
 又云わく(玄義分)、「「南無」と言うは、即ち是れ帰命なり、亦是れ発願回向の義なり。「阿弥陀仏」と言うは、即ち是れ其の行なり。斯の義を以ての故に、必ず往生を得」と。
 又云わく(観念法門)、「「摂生増上縁」と言うは、『無量寿経』の四十八願の中に説くが如し。仏の言わく、「若し我成仏せんに、十方の衆生、我が国に生まれんと願じて、我が名字を称すること、下、十声に至るまで、我が願力に乗じて、若し生まれずは、正覚を取らじ」と。此れ即ち是れ、往生を願ずる行人、命終らんと欲る時、願力摂して往生を得しむ。故に「摂生増上縁」と名づく。」
 又云わく(観念法門)、「善悪の凡夫、回心し起行して尽く往生を得しめんと欲す。此れ亦是れ