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 法相の祖師法位の云わく(大経義疏)、「諸仏は皆、徳を名に施す。名を称するは即ち徳を称するなり。徳、能く罪を滅し福を生ず。名も亦是くの如し。若し仏名を信ずれば、能く善を生じ悪を滅すること、決定して疑無し。称名往生、此れ何の惑か有らんや」と。已上
 禅宗の飛錫の云わく(念仏三昧宝王論)、「念仏三昧の善、之、最上なり。万行の元首なるが故に、「三昧王」と曰う」と。已上
 『往生要集』に云わく、「『双巻経』(大経)の三輩の業、浅深有りと雖も、然るに通じて皆「一向専念無量寿仏」と云えり。三に四十八願の中に、念仏門に於いて別して一の願を発して云わく、「乃至十念若不生者不取正覚」と。四に『観経』には「極重の悪人、他の方便無し。唯、弥陀を称して極楽に生ずることを得」と。」已上
 又云わく(往生要集)、「『心地観経』の六種の功徳に依るべし。「一には無上大功徳田、二には無上大恩徳、三には無足・二足及以び多足衆生の中の尊なり。四に極めて値遇し難きこと、優曇華の如し。五に独り三千大千界に出でたまう。六に世・出世間の功徳円満せり。義、具に此くの如き等の六種の功徳に依る。常に能く一切衆生を利益したまう」と。」已上