巻次 行 211頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 漢文 画像情報 画像情報 本文 凡そ往相回向の行信に就いて、行に則ち一念有り、亦信に一念有り。「行の一念」と言うは、謂わく、称名の遍数に就いて選択易行の至極を顕開す。 故に『大本』(大経)に言わく、「仏、弥勒に語りたまわく、「其れ彼の仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんこと有らん。当に知るべし。此の人は大利を得とす。則ち是れ無上の功徳を具足するなり」と。」已上 光明寺の和尚(善導)は、「下至一念」(散善義)と云えり。又「一声・一念」(往生礼讃)と云えり。又「専心・専念」(散善義)と云えりと。已上 智昇師の『集諸経礼懺儀』の下巻に云わく、「深心は即ち是れ真実の信心なり。自身は是れ煩悩を具足せる凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知す。今、弥陀の本弘誓願は、名号を称すること、下至十声聞等に及ぶまで、定んで往生を得しむと信知して、一念に至るに及ぶまで疑心有ること無し。故に「深心」(観経)と名づく」と。已上 『経』(大経)に「乃至」と言い、『釈』(散善義)に「下至」と曰えり。「乃」・「下」、其の言異なりと雖も、其の意、惟れ一なり。復た「乃至」とは一多包容の 漢文 凡就往相回向行信、行則有一念、亦信有一念。言行之一念者、謂就称名遍数顕開選択易行至極。『経』言「乃至、」『釈』曰「下至。」乃・下、其言雖異、其意惟一也。復乃至者一多包容之言。 紙面画像を印刷 前のページ p211 次のページ 初版p191・192へ このページの先頭に戻る