巻次 行 218頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 漢文 画像情報 画像情報 本文 法身無さず。如来は即ち法身なり。一乗を究竟するは即ち是れ無辺不断なり。大乗は二乗・三乗有ること無し。二乗・三乗は一乗に入らしめんとなり。一乗は即ち第一義乗なり。唯是れ誓願一仏乗なり。 『涅槃経』(聖行品)に言わく、「善男子。実諦は名づけて「大乗」と曰う。大乗に非ざるは「実諦」と名づけず。善男子。実諦は是れ仏の所説なり。魔の所説に非ず。若し是れ魔説は仏説に非ざれば、「実諦」と名づけず。善男子。実諦は一道清浄にして二有ること無きなり。」已上 又言わく(徳王菩薩品)、「云何が菩薩、一実に信順する。菩薩は、一切衆生をして、皆、一道に帰せしむと了知するなり。一道は、謂わく、大乗なり。諸仏・菩薩、衆生の為の故に、之を分かちて三とす。是の故に菩薩、不逆に信順す」と。已上 又言わく(師子吼菩薩品)、「善男子。畢竟に二種有り。一には荘厳畢竟、二には究竟畢竟なり。一には世間畢竟、二には出世畢竟なり。荘厳畢竟は六波羅蜜なり。究竟畢竟は、一切衆生、得る所の一乗なり。一乗は名づけて「仏性」とす。是の義を以ての故に、我、「一切衆生悉有仏性」と説くなり。一切衆生、悉く一乗有り。無明覆えるを以ての故に見ることを得ること能わず」と。已上 又言わく(師子吼菩薩品)、「云何が一とする。一切衆生、悉く一乗なるが故に。云何が非一な 漢文 是無辺不断。大乗無有二乗三乗。二乗三乗者入於一乗。一乗者即第一義乗。唯是誓願一仏乗也。 紙面画像を印刷 前のページ p218 次のページ 初版p196・197へ このページの先頭に戻る