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り。是の故に当に意を発すべし」と。已上
 又言わく(如来会)、「是くの如き等の類は大威徳の者なり。能く広大仏法異門に生ぜん」と。已上
 又言わく(如来会)、「如来の功徳は、仏のみ自ら知ろしめせり。唯、世尊有して能く開示したまう。天・龍・夜叉、及ばざる所なり。二乗、自ずから名言を絶つ。若し諸の有情、当に作仏して、行、普賢に超え、彼岸に登りて一仏の功徳を敷演せん時、多劫の不思議を逾えん。是の中間に於いて身は滅度すとも、仏の勝慧は能く量ること莫けん。是の故に信聞及び諸の善友の摂受を具足して、是くの如きの深妙の法を聞くことを得ば、当に諸の聖尊に重愛せらるることを獲べし。如来の勝智・遍虚空の所説義言は、唯仏のみ悟りたまえり。是の故に博く諸智土を聞きて、我が教・如実の言を信ずべし。人趣の身、得ること甚だ難し。如来の出世、遇うこと亦難し。信慧多き時、方に乃し獲ん。是の故に修せん者、精進すべし。是くの如きの妙法、已に聴聞せば、常に諸仏をして喜を生ぜしめたてまつるなり」と。抄出
 『論の註』に曰わく、「「彼の如来の名を称し、彼の如来の光明智相の如く、彼の名義の如く、実の如く修行し相応せんと欲うが故に」(論)といえりと。「称彼如来名」とは、謂わく、無碍光