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顧みず、決定して行に依りて、仏の捨てしめたまうをば即ち捨て、仏の行ぜしめたまうをば即ち行ず。仏の去てしめたまう処をば即ち去つ。是れを「仏教に随順し、仏意に随順す」と名づく。是れを「仏願に随順す」と名づく。是れを「真の仏弟子」と名づく。又、一切の行者、但能く此の『経』(観経)に依りて行を深信するは、必ず衆生を悞らざるなり。何を以ての故に。仏は是れ満足大悲の人なるが故に、実語なるが故に。仏を除きて已還は、智行、未だ満たず、其れ学地に在りて、正習の二障有りて未だ除からざるに由りて、果願、未だ円かならず。此れ等の凡聖は、縦使い諸仏の教意を測量すれども、未だ決了すること能わず。平章有りと雖も、要ず須く仏証を請うて定とすべきなり。若し仏意に称えば、即ち印可して「如是如是」と言う。若し仏意に可わざれば、即ち「汝等が所説、是の義、不如是」と言う。印せざるは即ち無記・無利・無益の語に同じ。仏の印可したまうをば、即ち仏の正教に随順す。若し仏の所有の言説は、即ち是れ正教・正義・正行・正解・正業・正智なり。若しは多、若しは少、衆て菩薩・人天等を問わず、其の是非を定めんや。若し仏の所説は即ち是れ了教なり。菩薩等の説は尽く