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く生死に沈みて、曠劫より淪回し迷倒して、自ら纏うて解脱に由無し。仰いで、釈迦発遣して指えて西方に向かえたまうことを蒙り、又、弥陀の悲心招喚したまうに藉りて、今、二尊の意に信順して、水火二河を顧みず、念念に遺るること無く、彼の願力の道に乗じて、捨命已後、彼の国に生ずることを得て、仏と相見えて慶喜すること、何ぞ極まらんと喩うるなり。
 又、一切の行者、行住座臥に、三業の所修、昼夜時節を問うこと無く、常に此の解を作し、常に此の想を作すが故に、「回向発願心」と名づく。又「回向」と言うは、彼の国に生じ已りて、還りて大悲を起こして、生死に回入して衆生を教化する、亦「回向」と名づくるなり。
 三心、既に具すれば、行として成ぜざる無し。願・行、既に成じて、若し生まれずは、是の処有ること無しと。又、此の三心、亦定善の義を通摂すと知るべし」と。已上
 又云わく(般舟讃)、「敬いて一切往生の知識等に白さく、大きに須く慙愧すべし。釈迦如来は、実に是れ慈悲の父母なり。種種の方便をして、我等が無上の信心を発起せしめたまえり」と。已上
 『貞元の新定釈教の目録』巻第十一に云わく(貞元釈教録)、「『集諸経礼懺儀』上下、大唐西崇福寺の沙門智昇の撰なり。貞元十五年十月二十三日に准えて勘編して入ると云云。『懺儀』の上巻は、智昇、諸経に依りて『懺儀』を造る中に、『観経』に依りては、善導の『礼懺』の日中の時の礼を引けり。下巻は比丘善導の集記云云。」
 彼の『懺儀』に依りて要文を鈔して云わく、「「二には深心。」(観経)即ち是れ真実の信心なり。