巻次
251頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

自身は是れ煩悩を具足せる凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知す。今、弥陀の本弘誓願は、名号を称すること、下至十声聞等に及ぶまで、定んで往生を得しむと信知して、一念に至るに及ぶまで疑心有ること無し。故に「深心」と名づくと。乃至 其れ彼の弥陀仏の名号を聞くことを得ること有りて、歓喜して一心を至せば、皆、当に彼に生ずることを得べし」と。抄出
 『往生要集』に云わく、「「入法界品」に言わく、「譬えば、人有りて不可壊の薬を得れば、一切の怨敵、其の便を得ざるが如し。菩薩摩訶薩も亦復是くの如し。菩提心不可壊の法薬を得れば、一切の煩悩・諸魔・怨敵、壊すること能わざる所なり。譬えば人有りて、住水宝珠を得て其の身に瓔珞とすれば、深き水中に入りて没溺せざるが如し。菩提心住水宝珠を得れば、生死海に入りて沈没せず。譬えば金剛は、百千劫に於いて水中に処して爛壊し亦異変無きが如し。菩提の心も亦復是くの如し。無量劫に於いて生死の中・諸の煩悩業に処するに、断滅すること能わず。亦損減無し」と。」已上
 又云わく(往生要集)、「我、亦、彼の摂取の中に在れども、煩悩、眼を障えて見たてまつるに能わ