巻次 信 254頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 漢文 画像情報 画像情報 本文 故に、疑蓋、雑わること無きなり。「欲生」即ち是れ願楽覚知の心なり、成作為興の心なり、大悲回向の心なるが故に、疑蓋、雑わること無きなり。 今、三心の字訓を案ずるに、真実の心にして、虚仮、雑わること無し、正直の心にして、邪偽、雑わること無し。真に知りぬ。疑蓋、間雑無きが故に、是れを「信楽」と名づく。「信楽」即ち是れ一心なり。一心即ち是れ真実信心なり。是の故に論主、建めに「一心」と言えるなりと知るべし。 又問う。字訓の如き論主の意、三を以て一とせる義、其の理、然るべしと雖も、愚悪の衆生の為に、阿弥陀如来、已に三心の願を発したまえり。云何が思念せんや。 答う。仏意、測り難し。然りと雖も竊かに斯の心を推するに、一切の群生海、無始より已来、乃至今日、今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心無し、虚仮諂偽にして真実の心無し。是を以て如来、一切苦悩 漢文 知之心、成作為興之心、大悲回向之心故、疑蓋無雑也。今案三心字訓、真実心而虚仮無雑、正直心而邪偽無雑。真知。疑蓋無間雑故、是名信楽。信楽即是一心。一心即是真実信心。是故論主建言「一心」也応知。又問。如字訓論主意、以三為一義、其理雖可然、為愚悪衆生、阿弥陀如来、已発三心願。云何思念也。答。仏意難測。雖然竊推斯心、一切群生海、自従無始已来、乃至今日、至今時、穢悪汚染無清浄心、虚仮諂偽無真実心。是以如来悲憫一切苦悩衆生海、於不 紙面画像を印刷 前のページ p254 次のページ 初版p224・225へ このページの先頭に戻る